お侍様 小劇場

   “孤独な夢は もう見ない” (お侍 番外編 93)
 

  夢をみた。

そこはあまりに広大な砂漠の丘で。
周囲の全方位、360度のすべてに、砂の大地以外何もない。
頭上に広がるのは、雲ひとつない真青の空ばかり。
目深にかぶった、陽よけ砂よけの布が、
お顔や足元へと落とした黒々とした影の濃さが、
どれほどの灼熱の陽が降り落ちているのかを知らしめて。
砂を入れぬ工夫なのか、
長めのフードにマントのような布を巻いた、
腕も足も見せぬ重装備。
まるでぼろの塊みたいな風体をした彼は、
時折、立ち止まらざるを得ないほどの熱風に撒かれながらも、
連れもないまま、ただただ歩み続ける。

  足元に落ちる自身の短い影と、
  砂を踏みしめる味気無い音だけを供に
  ただただ 黙々と

空の青と、眸を焼くほどの砂の乾色しかない、
そんな世界に ただ一人。
延ばした蓬髪が頬へとすべって来ての覆うほど、
俯きがちになっての、だが、
広い背中は丸めもせぬままに。
立ち止まるつもりはさらさらないと言いたげな、
頑迷そうな厳ついお顔の壮年が、
口許引き結んでの黙々と歩み続けており。

  “……… さま”

こうまで広い世界では、
頑健な肩や足腰した屈強な肢体も
頼もしいはずなその背中さえ、
相対比で押し負けての嵩負けして見えて。
その雄々しい面差しを培った、
様々な艱難辛苦を乗り越えた蓄積も。
それをもって得た理性と錯綜をもって、
深い色なす双眸とが示す、
人としてのそれは優れた内実も。
こうまで広大な乾いた世界では盾にもならぬ。

  それでも、彼はただ一人、
  何を目指してか黙々と歩んでおり。


  “ ……… さまっ”


彼が誰かを知っている
どれほどのお人かも知っている
だが、どうしてお一人でおいでかが判らない。
お強いお人だ、
独りでおいででは頼りないとは言わぬ。
むしろ誰よりも、何とかするだろうと頼られるほどの、
そんなお人と知っている。

  でも
  それでも

胸が閊える。
苦しくてたまらない。
砂漠の熱のせいじゃない。
灼熱の陽のせいじゃない。
彼が弱々しく見えるわけでもない。
なのになのに、

 胸が痛い、息が詰まる
 苦しくて苦しくてたまらない。


 「 、ゎ…っ。」


思わぬところに砂の溜まりでもあったのか、
足取りが乱れての膝をついた彼だとあって。
辛抱たまらず、
とうとう叫び出していた。


   …、カンベエ様っ!  と





     ◇◇◇



 「   …ろうじ。眸を覚ませ、シチ。」


肩を揺すられ目が覚めた。
身体を隈なくくるむ温みや、
柔らかな照明が色づけた黄昏色の世界は、
一瞬、さっきまで見ていた砂漠との混同を招いたが、

 「シチ。」

暖かな手のひらが、頬に添えられ。
ぜいぜいというせぐり上げるような呼吸に気づいてだろう、
身を起こさせてくれる頼もしい腕、優しい気遣いと、
そうされたと同時、腰の下に柔らかなクッションを感じたことで。
ああ、そうかとやっとのこと、
意識が現状を把握し、均される。

 ここは自宅の寝室だ。

そろそろ蒸し暑い晩も増えるが、
今宵はまだ、
さほどには寝苦しいほどでもなくて。
背中に腕を回し、
自分を支えてくれているこの男と。
どこか苦しいのかと、
大丈夫かと気遣ってくれているこのお人と。

 それぞれの二つ身であること、
 もどかしく思うその丈のまま、急くように熱く。
 でもでも、
 だからこそ互いを確かめ合うことの出来る、
 そんな幸いの甘さを、
 ただただ堪能しつつむさぼり合ったその末に。

ぐっすりと眠りについたその閨房だと思い出す。

 「…勘兵衛様。」
 「如何した」

なだめるような穏やかな声が低く響く。
熱ばかりではない、その存在がもたらす安堵も分け合っての、
安らかな眠りの中にあった二人だ。
片やがうなされて、それを拾えぬほど鈍い人性じゃあない。
それ以上に…油断のならぬ人でもあって。

 「夢見が悪かったのか?」
 「…っ。」

ほら。
そこまでもを読み取れてしまう人。
豪胆で、時に非情冷徹な選択も辞さぬほど、
自身が確たる自負で支えられておいでの御主は、
そこへ加えて、勿体なくも、
たかだか侍従でしかない、
そんな存在への慈愛も忘れぬ。
こんな言いようをすると、
またかと怒る彼かもしれないが、それでも。
他のお仲間に比すれば、
取るに足らぬ存在のはずな傍づきへ、
過大な気遣いをしてくださっていて。

 「話してみよ。」
 「……。」
 「母が言うておったろうが。」

そうだった。悪い夢は人に話した方がいい。
形の無い夢は、
誰かに話すとそこから形を得、同時に朽ち始めてしまうから、
決してその通りには実現しないとか。
大奥様がそう言っては、
怖い夢にうなされる幼子だった自分を宥めてくれた。
大奥様と同じ、それは深い色合いをした瞳に促され、

 「ほれ、話してみよ。」
 「………あの。」

とてもとても暑い、灼熱の砂漠を進む勘兵衛の夢を見たと。
まだ地続きのように思えるほどリアルだった“夢”の情景を、
掠れ気味の低い声で、時折つっかえつつも七郎次は紡ぐ。
たった一人で黙々と歩む彼は、特に心細げではなかったけれど。
不安そうでもなければ、敵に追われておいでという風でもなく。
何をか目指してでもいるものか、
しっかとした歩みを進めていたのではあったけれど。

 「………。」
 「? シチ?」
 「お名を、呼びました。
  でも、大きな声で呼ばわりましたのに、
  すんなりとは声が出なくて…」

息が詰まったのは、涙が出そうになったからだ。
夢の中だけじゃなく、実際の自分もまた。

 ここにいる自分に気づいてくれない勘兵衛なのへ、
 いやさ、どうして自分が一緒ではないのかへ、
 悲しいやら切ないやら、口惜しいやら、
 色んな感情が混沌と渦巻いての胸が苦しくなった。

こんな苛酷なこと、
辛くないはずがない、きつくないはずがない。
だが、
それが彼の“証しの一族”の宗主としての“務め”なら、
否と拒めないのも已を得まい。
しかも、彼が出張るほどの務めともなれば、
苛酷にして、しかも単独でというものがあまりに多い。
絶対証人は ただ一人だからこそ“絶対”な存在たるのだとし、
機密事項を知る者を限るため…だそうだが、
裏を返せば、
他の者が口封じにと狙われる危険を回避するためでもあって。
力のない身で余計なことを知ってしまったら、
ひとたまりもないからこその、慈悲深い対処だが、

 そも、
 誰よりも強い存在は
 一体 誰に護り果
(おお)せること叶うのか。

いつもいつだって、それが心配で心配で。
自分なんぞが手助けなんて滸がましいとは判っているが、
それでも……お傍に居られぬのは、辛くて怖くてたまらない。
あのような苛酷なところに身をおいておいでの姿を見てしまっては、

 せめてお傍にありたいと

胸がひしがれるほど痛切に思った七郎次であり。
厳しいお顔をしておいでなのへ、
手の触れられぬ遠さから、声の届かぬ哀しさから、
本当に息が苦しくなってしまい、
最後には勘兵衛自身に揺すられて目が覚めた。

 「………ただの夢だ。」
 「はい……。」

七郎次にも、ただの夢だと判っている。
暖かいこの手が現実で、
胸がどれほど痛かろと、夢は夢。
それでも…あまりにリアルだったし、それに。
勘兵衛が現実に置かれる立場に、
あまりにも即妙に準えられるだろう情景であっただけに。
七郎次にとって、一蹴するには重すぎて。

 「すみません。」

もしかしたら、
自分が常に抱えている不安が形を取ったのやもしれぬ。
だとしても、勘兵衛には責も罪もないことだ。
いやさ、余計な業や枷を意識させるだけかもしれない。
案じているのだと知らしめることで、
お傍に仕える身の自分が、彼への負担を増やしてどうするか。
込み上げた涙に息が詰まったのも、
もう今は何とか収まっており。
膝に掛かったままな肌掛けの縁を見下ろす白い頬が、
すみませんでしたと、小声で謝ると、
背中や肩を支えてくれている勘兵衛の方を肩越しに見上げた。
そんな七郎次へ、

 「何故、謝るか。」

宥めるように慰めるようにと、伏し目がちにされた目許も優しいまま、
青年の肩、掻い込むようにしていた腕の輪を、そおと狭めた御主であり。
背を萎えさせていたこともあり、
ほんの少しほどある身長差から、その懐ろへすっぽりと、
抱き込められてしまった七郎次が、

  え?、と。

何でもなかったとしたい自分を、そうではなかろと、
微妙に窘めるようにした上で、
こちらの身を抱え込んだ彼だったのへ、
かすかな違和感を覚え、虚を突かれたような案配、
ポカンとしてしまう七郎次だったのを。

 「だから、今は……二人でおるではないか。」
 「あ…。///////」

ぽかんとしたまま、今度は ぽうと。
見る見る頬や耳が染まったの、
夜目の利く人だからたやすく拾えてしまったのだろ、
たちまち、その口許を判りやすくもほころばせると。
だから大丈夫だと、あやすように笑ってくれて。
再び掻い込まれたそのおりに、額の端へと硬いお髭の感触が触れた。
寝間着越しの、精悍で男らしい匂いと温みも、
肌を合わせたその先にある、ごつりとした筋骨の感触も、
やっとのこと拾えるまでに落ち着いて。

  やっとのこと、足が地についたような気がして。

安堵をくれた懐ろで、
ついのこととて、細く吐息をついて見せれば、
それが胸板へと当たったのがくすぐったかったものか、

 「まったく…どんな夢を見たかと思えば、
  儂の夢を見た なぞとはな。」

妙に楽しそうに聞こえなくもないお声がし、
何でそれが嬉しい勘兵衛様なのかなぁと、
そんなこんな思っておれば。
そんな想いが涌いたほどもの、
大きな安堵がついでに睡魔も連れて来たらしく。

 「…か、んべえさま。」

凭れた格好の壮年の胸元、
頬をつけたままで眠りへと落ちる、
何とも他愛ない青年の。
気に入りの金の髪を梳いてやりつつ、
やはりその口許はほころんだままな勘兵衛で。

 “叫んだほどに歯痒かった、か。”

親の思惑に振り回されてのこと、
辛い想いをし、怖い思い出ばかりを山ほど抱えて来た和子で、
いまだに当時の夢にうなされてもいる。
それはきっと、
今そうしたように、外へと吐き出さず、
この自分へと語ってはくれなかったせいもあろう。
悩み事や気病みのタネは、何でもかんでも抱え込み、
何でもないと気勢を張って、その結果余計に疲れるという、
何とも水臭い構えようをいつだって自らに強いていた彼で。

 “…だが、待てよ?”

勘兵衛を案じてのこと、胸を絞られての跳ね起きたということは、
七郎次の隠しごとをする習慣が直ったとは言い切れないのかもで。

 「〜〜〜。」

む〜んと口許をひん曲げかかったものの、
見下ろした女房殿の、なんとも安らかな寝顔には罪はなし。
まあよしかと苦笑を重ね、
抱えたまんまの彼を起こさぬように、
そおと身を横たえ直しての、
寝直しをとかかった勘兵衛で。
脇卓の枕灯を消しながら、寝位置を定めておれば、
間近であらわにされていた女房殿の、
首条の白さがつい視野に飛び込んで来。

 「…っ。」

かっくりと力なくも萎えさせた顎やおとがいの線と、
そこに生じていた影とのコントラストがまた、
息を飲むほどの凄艶さであったのへと、
しばし視線を奪われてしまったものの。

 「………。」

夏用の肌掛けを整えてやりつつ、
しなやかな背中ごとくるりと、大切な存在を抱きしめ直して。
自分もまた、潔く眠り直すこととした壮年殿で。


  “………すまぬな。”


気丈な彼をも振り回し、気を揉ませることの多かりし、
何とも罪な主人であることへ、
こそりと詫びた勘兵衛でもあった。







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